沖縄で着物を高く売りたい人のための買取情報

沖縄で着物を高く売りたい人のための買取情報

沖縄で着物を高く売りたいけどどこのお店に持っていこうかなぁ…

と悩んでるあなた、実は近所の着物買取店では絶対に高く売れません!

近所のお店で売るよりも、ネットの買取業者のほうが高く買取してくれます。


なぜ、ネットの買取業者で高く売れるのかその理由と、沖縄のおすすめ買取店や買取相場についてご紹介していきます。

ネットの着物買取業者だと査定額がダントツ高い!

実際にフリーマーケット、オークション、リサイクルショップ、近所の着物買取店、ネットの着物買取店に同じ振袖を査定をしてもらい買取額を比べてみました。

その結果、ネットの着物買取業者がダントツで高いことがわかりました!

着物買取店に比べネットの着物買取業者のほうが需要が高く(全国に対応してるため)、管理コストも安いので、その分着物を高く買取することができるからです。

絶対にネットの着物買取業者を利用するのが一番お得です!

おすすめのネット着物買取業者ランキングTOP3

ネットの着物買取業者といってもすべて優良会社とは限りません。中には着物に詳しくない人が査定している悪質な買取業者も存在します。

そこで当サイトでは独自にアンケートを取り、どのネット着物買取業者が評価が高いか調べランキングにしてみました。

No.1スピード買取.jp

他店より買取額が1円でも安ければ全品返却!
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沖縄の着物買取相場

沖縄県那覇市の着物買取の価格は、東京に比べて低いです。人口が少ないということと、着物買取店があまりないというのが原因です。また、沖縄では着物に対する需要が少ないのも原因です。例えばアンティーク着物を扱うPano舞や十文字屋呉服店といった着物販売店が東京に比べるととても少ないです。

私が調べたところによると、着物専門で買取をしているお店は存在しませんでした。一般的なリサイクル業者はありますが、もし着物を高額で買い取ってもらいたいなら、やめておいた方が良いでしょう。

こうしたリサイクルショップでは、とても安い値段しかつけてくれません。ですから高額査定をしてもらえる唯一の方法は、全国どこでも買取を行ってくれる着物専門の買取業者となります。

買取金額:213,000円使い道に困っていた着物多数に付いた値段にお客様も納得!
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買取金額:70,000円名古屋のお客様より、状態の良い着物を多数買取!
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参考:スピード買取.jp

沖縄の着物買取業者一覧

ネットの買取業者が高いことはわかりましたが、それでも近所の着物買取店を利用したいという方のために、沖縄県内の着物買取店を厳選してみました。

店舗名 住所
質と買取のブランド広場
沖縄県那覇市銘苅1丁目10-12-2F
リサイクルショップゆいまーる 沖縄県宜野湾市真栄原3丁目22-8
リサイクルとうやま 沖縄県沖縄市桃原3丁目18-11
リサイクルショップたから島 沖縄県宜野湾市愛知2丁目3-7
ザ・マーケット王 沖縄県浦添市伊祖2丁目2-1-1F
Pano舞 沖縄県那覇市おもろまち4-17-21
天文館質舗 鹿児島県鹿児島市山之口町12-28桜屋ビル1階

沖縄の織物&伝統工芸品

宮古上布(みやこじょうふ)

沖縄県宮古島が産地の麻織物です。宮古上布は、沖縄らしい軽く薄い生地、独自の光沢感、精密な絣柄が特徴とされます。薩摩藩が「薩摩上布」として江戸に献上されたことから全国的に有名になりました。

一反織るためには2カ月という期間がかかるため、上布としては最高級品の部類に入ります。そして、「東の越後、西の宮古」という言葉があらわすように非常に人気が高く、最も活気のあった時期である大正~昭和初期には最優秀の麻織物として数々の栄誉を勝ち取りました。国の重要文化財にも認定されています。

宮古上布の歴史は、16世紀にまでさかのぼります。琉球王の命により特別な役職に任命された稲石刀自(いないしとぅじ)が感謝の気持ちを表すために、宮古上布を献上したのがその始まりと言われています。

ピーク時には年間で1万反以上生産されていましたが、現在ではあまり生産されておらず年10〜20反とも言われます。このため非常に希少な織物として知られています。

八重山上布(やえやまじょうふ)

沖縄県の八重山諸島の麻織物といえば、八重山上布です。「白上布」の別名があるように白地をベースにした茶色の絣が特徴とされます。また通気性が良いので夏用衣料としてとても人気があったのです。

沖縄の他の織物と違う点は、刷り込み捺染という方法で染められるということです。また海水にさらすことで色止めをする「海晒し」、杵で布を叩くことにより独特の光沢、風合いを醸し出す「杵叩き」など、他に類を見ない技法が用いられます。

八重山上布の歴史は14世紀末の苧布の記録にまでさかのぼれるほど伝統があります。琉球王朝時代には人頭税として八重山上布を貢納したことなどもあり、技術が改良されてきました。

そして、薩摩藩に収めた上布が「薩摩上布」として江戸に献上されるに至った結果、全国にその名が知られるようになりました。「薩摩上布」と呼ばれていましたが、実際には宮古上布、そしてこの八重山上布であったと考えられます。

久米島紬(くめじまつむぎ)

久米島紬は沖縄県久米島の織物として知られます。沖縄の織物の特徴である絣模様と泥染めによる黒い光沢感がある褐色のものが主流ですが、若草色や黄色などカラーバリエーションも豊富です。

堂之比屋という人物が中国の明に渡り、養蚕の技術を学び、沖縄につたえたことが久米島紬のはじまりと言われます。琉球王国伝統の久米島紬の誕生です。1500年前半に琉球王国が久米島を征服されてからは献上物として贈られるようになりました。実に税金の7割を紬で納めたという記録が残っています。

1600年代になると、薩摩藩が琉球王国を征服しました。このため、さらに献上品の量が増えたといいます。1619年には越前の坂元普基に教えを乞い、養蚕や真綿の製法を改良しました。さらに薩摩藩の友寄景友からは織り方と染色を学びました。こうしたことで久米島紬は急速な発展を遂げました。

そして久米島紬は「琉球紬」として日本本土にも広く使われるようになったのです。2004年には国の重要無形文化財として指定されました。また久米島紬保持団体は、技術の保存と伝承者を育てる団体として重要無形文化財の保持団体として認定されています。

ミンサー織(みんさーおり)

ミンサー織とは沖縄県の織物のことです。ミンサー織のなかでも竹富島周辺が産地の八重山ミンサーが特に有名です。市松状に配置された四つ玉、五つ玉と呼ばれた絣柄と厚手の地風という独自の組み合わせが特徴です。

「綿(ミン)」で織られた幅の「狭(サー)い」帯ということから、ミンサーといいます。そして四つ玉、五つ玉を市松状に配置するのは、「いつ (五)」の「世 (四)」までの愛を誓うというメッセージが込められています。

男性に求婚された女性は、ミンサーを贈る風習がありました。求婚を受けるという返事の代わりにミンサーを自分で織ったのです。このときムカデの足の柄を入れることで「足繁くおいでください」というメッセージを添えました。このような風習があったために、ミンサーは一般的に男性用の帯でした。

ミンサーのルーツはアフガニスタン、ネパール、インドの地域で織られていた獣毛を岩料によって染める細幅織物と考えられています。それが獣毛ではなく綿を使うことでミンサーとなったと言われます。

現在では、あまり作られることのなくなりましたが、パリ・コレクションで披露されたり、美智子皇后がミンサー織りバッグをご使用になられたりするなど、ミンサーに魅了される方々は少なくありません。

琉球絣(りゅうきゅうかすり)

沖縄県の南風原地区の織物には琉球絣があります。琉球絣とは沖縄で作られる絣全般を表す名前です。かつては宮古上布や芭蕉布などの織物など沖縄で織られるものをひとくくりに呼んでいました。

しかし、時代とともに各織物が区別されるようになったのです。南風原は琉球王府時代から絣の主産地として伝統があります。今では「琉球絣の里」という名がつくほどなのです。

琉球絣の特徴は600種類というバリエーション豊かな幾何学模様とされています。琉球王府時代から伝承されてきた「御絵図帳」を基本として、職人たちが新しい模様を生み出し続けた結果です。

一般的に紺色のものが多く、木綿が使われていましたが、昭和の後半からは綿を使うことが多くなりました。

芭蕉布(ばしょうふ)

芭蕉布は沖縄県奄美群島の布織物です。多年草であるイトバショウが使われることから、「蕉紗」という別名で呼ばれることもあります。

薄いながらも張りのある肌触りと優れた通気性は沖縄の風土にぴったりで、夏用着物や蚊帳、座布団まで様々に用いられています。

その歴史は古く、沖縄県の織物のなかでも最古と言われます。既に13世紀頃から琉球王国所有の大規模な芭蕉園で栽培された糸で織られていたことが確認できます。

奄美大島から与那国島まで広範囲に技術が伝えられ、江戸時代には全国的に知られる織物となりました。現在でも「芭蕉布の里」と呼ばれる、大宜味村(おおぎみそんむら)の喜如嘉(きじょか)を中心に生産されており、伝統技術が守られています。

与那国織(よなぐにおり)

与那国織は沖縄県与那国島の織物です。鮮やかな暖色系が何とも沖縄らしさを感じさせてくれます。また独特の幾何学模様が特徴です。古くは自家製の織物からはじまり、首里王府の貢物として献上された記録も残っています。

与那国織りは4つの織物の総称です。簡単にご紹介します。

・「与那国花織」幾何学模様で描かれる花が特徴です。

・「与那国ドゥタティ」4枚仕立て(ドゥタティ)の布で作られます。

・「与那国士ダディ」綿、麻地を草木染め、泥染めした糸で織りこまれます。

・「与那国カガンヌブー」ミンサー織り同様に細帯です。

着物としては、格子縞に小さな花模様が描かれているのが特徴である絹の与那国花織が有名です。いつから織られていたのかは諸説ありますが、15世紀ごろから生産されてきたと考えられています。

第二次世界大戦により一時生産がなくなりましたが、1979年に与那国町伝統工芸館が設立され、沖縄とともに復興の道を歩み始めました。

読谷山花織(よみたんざんはなおり)

読谷山花織は沖縄県の円読谷村の織物です。読谷山花織は「読谷山ミンサー」「グーシ花織」という名でも呼ばれます。花織という名が表すように花を模した紋柄が特徴です。この紋柄には「ジンバナ(銭花)」「オージバナ(扇花)」「カジマバーヤナ(風車花)」と様々な種類があります。

読谷山花織の歴史ははっきりと辿ることが出来ません。厚手なこと、主に暖色なことなどから南方から伝わったと推測されますが、確証はありません。

読谷山花織は首里の一部の上流階級、士族しか着用が認められていませんでした。また貢物として朝鮮に贈られた記録が残っています。このことから読谷山花織が高級品であったことが分かります。琉球王国が薩摩藩の支配下に置かれると、今度は薩摩藩への貢物として納められるようになります。

一時は生産が著しく衰退したため「幻の花織」などとも呼ばれていましたが、1964年に織物の技術者によって復活を遂げました。現在は沖縄県、指定無形文化財の認定を受けています。

沖縄島県内の着物買取エリア

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